さてこの微妙な時期にスペイン大使として英国に乗り込んだのがルーベンス。英西関係といえば、そりゃあもう無敵艦隊。そしてジェームス1世の時代にはスペインがクーデターを仕掛けたとカトリックが迫害された関係。ここは西領とはいえネーデルランドの画家のほうが話がしやすいというものだ。
ルーベンスの政治的慧眼は、宮廷内にスペイン講和派、フランス講和派、双方とも講和派の3派あると見抜いている。仏宰相リシュリューもスペインを孤立させるべく、英国と同盟を組もうとしていたのだ。ルーベンスはあらゆる人脈を使い、なんと英西の講和条約を制定させたのである。
フェリペ4世は以前「画家ごとき」と言ったことを忘れて「外交交渉に長け教養豊か」とネーデルランドのイザベラ公妃に褒めちぎるのである。そしてご褒美として、王の側近官僚を送り込んだ上に、サンタクルス侯を司令官として大大隊の軍がブラッセルに到着し、公妃を安堵させた。
ルーベンスはケンブリッジ名誉学位を受け、また1630年3月3日帰国直前にチャールズ1世自ら騎士の叙任を受けた。新旧教国からこれだけの表彰を受けたのは、宗教戦争以後は彼だけだろう。フランスのリシュリューは英国をスペインに取られたので、スウェーデンを焚きつけたというわけだ。
下はチャールズ1世から依頼された天井画「ジェームズ1世の戴冠」右に居るのがジェームズ1世
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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