実はイタリアのマントヴァでは、ルーベンスなど芸術の庇護者ヴィオツェンツォ1世が1627年に崩御してからフランス対ハプスブルクの継承戦争が起きていたのである。しかも支配するマントヴァとモンフェラートは、当時スペインが支配するミラノを挟む位置にあった。
すぐ動いたのが、フランスはヌヴェール公シャルルで、公の娘マリアと息子を即結婚させ、マントヴァ公即位を宣言。勝手な行動に、当時ミラノ総督コルドバは、モンフェラートに進軍し、首都カザーレを包囲した。しかし28年にラ・ロシェルに勝利したフランスはその足でモンフェラートへ。
ルイ13世自らの進軍で、コルドバは包囲を解き、フランスは勝利を得た。この失敗でコルドバは解任され、代わりに総督になったのが、オランダ戦の名将スピノラだった。そして30年になると、皇帝フェルディナンド2世はヴァレンシュタイン抜きにマントヴァを攻め、スピノラはモンフェラートを再包囲。
フランスは、モンフェラート支援に軍を送り、ここで仏西は一触即発の状態となった。30年7月マントヴァは降伏し、シャルルは、約百点の名画を持ってヴァネツィアに亡命した。しかし残りの名画宝物はおろか、町は皇帝軍によって略奪され、かつての芸術都市は跡かたもなくなったのである。
下はルーベンス作マントヴァ公宮殿の「聖三位一体を礼拝するゴンザーガ家の人々」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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