1622年、イランのイングランドの支援を受けたイランのサファビー朝がポルトガルからホルムズ島を奪還した。言うまでもなくホルムズ海峡はペルシャ湾を出入りする要所である。その前の1602年には英イ同盟で、バーレーンを制圧している。西洋の海洋覇権争いは西アジアでも進行していた。
ヨーロッパにとって、オスマンの脅威を背後から押さえる意味でサファビー朝の存在は貴重だった。すでにカール5世の時代からサファビー朝とは親交があった。そしてこの時代、やはり交易を狙ってオランダが、サファビー朝の軍事援助をしている。オスマンへの攻勢は欧州の援助があった。
そして英国も、1599年からロバート、アンソニーのシャーリー兄弟がイランを目指し、イランで軍事教練を行った。弟のロバートは、オスマンとの実戦にも参加している。ロバートはサファビー朝の使節として1609年に欧州を歴訪した。その結果、1616年アッバース1世と東インド会社で貿易協定が結ばれる。
1624年にはなんとイランに英国大使館が設立される。そしてその年サファビー朝は、バグダードを再制圧して、最盛期を迎えた。だが、29年にアッバース一世が崩御してからは無能な君主が続き、国は衰退していく。
下はロバート・シャーリーとチェルケス人の妻テレサ
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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