ヴァレンシュタインの兵は皇帝軍ではなく、自分の兵である。その給金として50万グルデンを貸し付けた。そんなもの当時の皇帝は払えるわけがない、そこで認めたのが占領地での税徴収である。ということは実質彼の領地となるわけだ、司令官は24000の兵を率いて出陣する。
旧教軍はさらに名将ティリー率いるバイエルン軍、どんどん膨れ上がり総勢5万以上。かたや新教軍はデンマークとドイツの連携があいかわらず悪い。ドイツ軍総司令官で傭兵の万すフェルトは1526年4月デッサウ橋の戦いで敗北し、逃亡中に戦死。6月27日のルッターの戦いでティリーはデンマーク軍に勝利し、旧教軍は北ドイツを席巻する。
前年の25年、スペイン軍はオランダ南部の要衝ブレダを占領した。この戦いは西将スピノラVs蘭将マウリッツの名将対決となった。スピノラは陽動作戦でマウリッツを東に向けてブレダを包囲。マウリッツは、川をせき止めて水攻めしたが、スピノラはそれを城の中に入れて兵糧攻め。マウリッツは健康を害して病死した。
25年にはイングランドでは悲劇の王チャールス1世が即位した。その妻ヘンリエッタ・マリアは仏王妹、約束通り英宮廷にはカトリック礼拝堂が建てられて堂々とミサを行う。しかし王は大陸では新教支援を行い、なんとフランスの港町ラ・ロシェルでユグノーが蜂起すると、支援に大艦隊を差し向ける。
下はデッサウ川の戦いのヴァレンシュタイン
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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