1622年9月10日長崎で55名のキリシタンとバテレンが処刑される、元和の大殉教が起きた。この日も処刑場は3万人の群衆が押し寄せたという。長崎、島原での宣教師への潜伏禁止はさらに厳しくなった。宣教師も高齢になり、ほぼ10年の迫害で疲れ果てている、と手紙に書かれている。
有馬の司祭ナバロは、自ら「私を連れて行け」と言ったようだ。有馬領主松倉重政はキリシタンに寛容な政治を執っていたが、ナバロは家臣にあちこちでしゃべるので、城に招いてきいたところ「日本で布教してもはや62歳になった。日本で殉教するのが望みである」と答えられた。仕方なく他の者と共に火刑にせざるを得なかった。
イエズス会が衰えるなかで、活発に活動したのはドミニコ会である。ドミニコ会士は積極的に信者のもとをまわり、告解を受け、その分捕えられて殉教する者も多かった。なんと両会の宣教師の中で争いが起こり、イエズス会は、ドミニコ会の宣教師に告解を受けるのを禁止した。
しかし1623年に、徳川家光が将軍になるとさらに厳しくなった。江戸に参勤した重政は、将軍より「手ぬるい」と言われて、遂に方針を転換する。島原で有名な熱湯責めが行われるのはこの後である。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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