1612年神聖ローマ皇帝ルドルフ2世が崩御し、弟のマティアスが継いだ。この兄皇帝の存命中からマティアスは地位を狙い、権力を削るため、ハンガリーに信仰の自由を認めさせ、兄直轄地のボヘミアも信教の自由が保証された。しかし弟マクシミリアン3世は反対、マクシミリアンは、カトリック保守派の従兄フェルディナンド3世と同盟する。
一方のボヘミアは「プラハの春」である。思い起こせば改革者フス派の伝統が生きている。ボヘミアプロテスタントはわが世の春とばかりプラハ大司教の領地でも自分達の教会を建て、またもや修道院を破壊した。
ハプスブルク側は、ハンガリーからイエズス会を導入して、これまた改革をすすめようとする。そして王領地に新教教会を建ててはならじ、と教会を封鎖してしまった。「約束が違う」と新教信者(貴族)は激怒。もともとハプスブルクには反発が強く、火は燃えつつあった。
13年には、プファルツ選定候フリードリヒ5世が英王ジェームス1世の娘と結婚、「テムズ川とライン川が合流し、大きなうねりとなってドナウ川」を飲みこむ」とプロテスタント側は噂し、意気があがった。ルドルフ2世のおかげでますます力を失う帝国は、危機感をつのらせた。
下はフリードリヒ5世とエリザベス・スチュアートの結婚
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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