王の暗殺という一大事で代替わりしたフランス、王ルイ13世はまだ8歳である。ここで摂政となったのが、アンリ4世が適当に政治結婚したマリー・ド・メディシス。何せ王の寵愛は愛人ばかり、王宮に庶子も大勢居たというから、ルイ13世もとんでもない環境で育ったものだ。
当然母は「お父さんのようになっちゃダメ」と息子を敬虔なカトリックに育てたのだ。摂政は前王と逆で親カトリック政策を取る。その手始めが子供の結婚で、ルイ13世とスペイン王女アンヌ・ドートリッシュを婚約、そして長女エリザベートをスペイン王子と婚約させた。
この政策変更はプロテスタントを怒らせ、さっそくコンデ公アンリ2世が反乱を起こした。彼は継承権第一位であり、自分が留守の間に勝手にマリーが摂政を名乗ったのがシャクにさわったのだ。この対立で1614年にまた三部会が開かれた。そこでマリーは摂政を降りて、13歳の息子を自立させることにした。実はこの後フランス革命前まで三部会は開かれない。
翌15年、ボルドーまで国王結婚御幸パフォが行われ、ダブル結婚が行われた。この結婚はパフォもあるが、プロテスタントの襲撃に備え、警備もものものしかったという。ともあれフランスの政策はまたカトリック寄りになる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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