この時代は、日本人も海外へ渡航してあちこちに日本人町ができていた。有名な山田長政は1612年に朱印船に乗って出国したというから同時期である。山田は日本では駕籠かきだったがタイで日本人傭兵に加わり頭角を現した。
まだ日本は鎖国をしておらず、朱印船が日本と行き来して、日本人町がネットワークをもって市場を支配していたようだ。ポルトガル船の技術を真似て、長崎や薩摩で建造され遠洋航海が可能となった。もちろんフィリピンにも日本人町があり、32年間の全朱印状356通のうち54通がフィリピン向けである。
高山右近は、フィリピン到着後病となり1615年2月3日に帰天し、葬儀は10日間の長さで盛大に行われた。臨終のときに泣く娘や孫に「なぜ泣くのか、これまで通り神がお前達の親になってくださる。元気を出せ」と励ましたという。最後の言葉は「イエス、マリア」だった。
内藤如安は12年間生き、現地で中国語の医学書を日本語に翻訳し、日本人町サンミゲルのために働いたようだ。妹ジュリアは、日本で最初の修道女会ベアタス会のメンバーと称教区に家をもらい、祈りの日々を送ったという。如安の縁で京都府南丹市とマニラは姉妹都市である。
下は南丹市の内藤如安記念碑と右上は如安の兜
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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