日本宣教40-高山右近マニラ追放

1612年の徳川禁教令は厳しくなく、その年にも4500人が受洗した。しかし翌13年に金地院崇伝の書いた「伴天連追放文」が発令。なんと大久保忠隣が京都に派遣され、教会を破壊し、信者を捕え引き回し、女性は遊郭に送ると脅した。そして加賀では遂に高山右近、内藤如安一族を追放を決めた。

右近は62歳、俸禄黄金60枚を返上し、「キリシタンの武器は人を打ち砕くのではなく、自分に打ち勝つための心だ」と抗わなかった。戦国武将右近の到達した境地である。しかし長崎では、島原藩主有馬直純のもとで棄教しない3名の家臣が家族共々火刑。レオン勘右衛門は「有馬の信仰を見よ」と笑って死に、娘は縄が切れると自ら薪を乗せた、皆列福されている。

この処刑には2万人が集まり、遺体は聖遺物として長崎に送られた。14年右近らを迎え、信徒らは自主的に贖罪の聖行列が行われ、3000人が参加した。これを知った家康は激怒して刀に手をかけたという。

11月7日、ついに右近、如安らが家族や宣教師と共に日本を旅立った。この船は小さなジャンク船で航海は難渋したが、12月21日にマニラに到着、港では祝砲が放たれ、港から政庁まで儀仗兵が迎えた。右近は驚き「こんな栄誉を受けることを私はいつ行ったのか」と言った。この日はマニラでは高山右近の日となっている。

下はマニラの高山右近像

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キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。