日本宣教39-ジュリアおたあと家康

マードレ・デ・デウス号爆沈事件はさらに別の事件に連動した。岡本大八は、家康の寵臣本多正純の家来で、事件の収拾にあたった。その際、有馬晴信に近づき、この手柄で旧領が返還できるようにすると請け負った。長崎の支配をめぐって有馬は、長崎奉行佐々木藤広とも対立した。

岡本大八は朱印状を偽造して資金を受け取ったが、旧領返還は一向に実現しない。有馬は駿府へ赴き、正純と直談判したことでこのサギが発覚。大八は火刑、有馬は長崎奉行暗殺の罪で斬主された。しかし彼らがキリシタンであることを重く見た家康は直臣を調べると14人の家来3名の奥女中が判明した。

その奥女中におたあという家康が寵愛する侍女もいた。彼女は洗礼名をジュリアと言い、朝鮮人。朝鮮戦争で小西行長に拾われ、亡き後家康が侍女とした。家来にキリスト教を広めたのは彼女だった。家康のショックはあまりある。皆棄教しないため追放。おたあは伊豆諸島へ流刑となった。

おたあは、流刑地でも流刑人に献身的に尽くした。家康は赦免しようとするが、棄教は拒否し、3度も遠島となった。かわいさ余って憎さ百倍、家康は現世最高権力者をもソデにするキリスト教の強さを思い知り、禁教に踏み切る。しかし、なんと伊達藩では、遣欧使節の準備がすすんでいたのである

下はわらび座ミュージカルのポスター

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。