日本宣教36-背教者ハビアン「妙貞問答」

1605年徳川家康は長男秀忠に将軍職を継がせ、徳川政権をつくっていく。しかしこの時期の対外政策は微妙であり、海外貿易を見据えてカトリックにも寛容だった。そしてその年、日本初のキリスト教と仏教、神道、儒教の日本的宗教との比較宗教論というべき「妙貞問答」が執筆された。

著者は不干斎ハビアン、幼くして禅僧となり、大徳寺や建仁寺で学んだが、母と共にキリシタンに改宗。その後イエズス会士となり、セミナリオで頭角を顕わし、天草神学校で外国人宣教師に、日本語や日本の宗教の講義を行った。「妙貞問答」はその集大成ともいえる。

「妙貞問答」での日本宗教批判は、絶対性の欠如に尽きる。仏教が諸行無常は言うまでもないが、神道の教えはあいまいすぎる。儒教の朱子学では、理と気を宇宙の原理とするが、理を支える絶対的存在が欠如している、と各教を具体的に解説しながら批判するのである。

ハビアンは翌06年、有名な儒学者林羅山とも論争、今後のキリシタンの運命を左右する黒田如水3回忌法要の説教師として選ばれ、大成功を収めた。いわば彼は徳川政権下でキリスト教を宣教する最終兵器ともいえた。ところが、その二年後なんとキリスト教を棄教するのである。

下左は右ハビアンで左はフロイスらしい。下右は林 羅山

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。