聖マタイの絵画の成功で、カラヴァッジオはローマで最も有名な画家となった。特に若い画家達は、その絵画の革新性に魅了され、明暗による劇的表現がブームとなる。カトリックは、物語の代わりではなく、ダイレクトな感動で、宗教的高揚を狙った。これはイエズス会等当時のカトリック運動の流れ。
カラヴァッジオには宗教絵画の制作依頼が次々と舞い込んだ。彼の絵画は、まるで自分が聖書の現場に居るようなリアルさで描く。ところが、金が入ると彼は怪しい友と酒に浸って暴れ、娼婦を抱いてモデルにした。1606年5月29日、とうとうその挙句殺人事件を起こしてローマを追放されてしまうのだ。
そして何という偶然!その頃マントヴァからローマにやってきたのがルーベンスである。恐らくカラヴァッジオのパトロン、デル・モンテ枢機卿の対抗だろうが、教皇の甥ボルゲーゼ枢機卿らがルーベンスを推薦して、ローマの新教会サンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ聖堂の祭壇画に抜擢される。
ところが完成した祭壇画は、飾られる位置では、採光と合わず、彼はもう一枚描き、完成させる。最初の絵画は、マントヴァ公に売ろうとしたが、もう公も財政がひっ迫。故郷の母が危篤で、アントワープに帰り、母の教会に寄贈した。しかしこれがネーデルランドで名を広めるのだから運がいいのか、如才がないのか、カラヴァッジオとは正反対である。
下左はカラヴァッジオ作「ロレートの聖母」右はルーベンス「ヴァリチェッラの聖母」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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