1600年5月12日、大坂を出発する前に家康は、漂着したジョン・アダムスらに謁見した。イエズス会は彼らを処刑するよう要請したが、家康はアダムスらから国際事情も含めて聴取し、江戸に連れて行き、領地を与えた。以後彼は家康のブレーンとなり、領地をもらい破格の待遇を受ける。
ガラシャの劇的な最期は、大きな影響を与えた。夫忠興は今更のように激し、東軍を団結させ、一方西軍の人質作戦を頓挫させた。そもそも家康軍は、秀頼の命によって行動しているのであり、この人質作戦は西軍の不安の表明ともいえたが下策であった。
10月21日に戦われた関ヶ原の戦いは、半日で東軍が勝利した。小西行長は、朝鮮で兵を失い、急ごしらえの軍だった。真っ先に崩れたとも言われ、行長はキリシタンとして自害せず、三成らと共に捕えられた。処刑前に彼が望んだのは司祭への告解とゆるしの秘跡だった。
彼は同じキリシタンの黒田長政に頼み、長政は家康に伝えたが聴き届けられなかった。刑場には司祭も来ていたが、できたことは、イエスとマリアの聖画を掲げることだけだった。小西の処刑はキリシタンの大きな柱を失うことを意味していた。
下は岡田三成の映画「関ヶ原」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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