宗教戦争の時代でもローマの威光は衰えなかった。むしろカトリックの総本山として権威を増していたといえる。新教と旧教は各国で争っており、教皇と対等の立場に立つはずの神聖ローマ皇帝はもはや名目上の存在にすぎなかった。そして神の威光を積極的に表現する新しい芸術を欲していた。
芸術に造詣の深いデル・モンテ枢機卿は、1599年コンタレッリ礼拝堂の室内絵画を、28歳の画家に依頼した、その名はミケランジェロ・メリージ・カラヴァッジオ。彼はミラノに生まれ、ダ・ヴィンチの絵を見、ヴェネツィア派の画家のもとで修行した。ところが、役人とケンカして飛び出してしまう。
ローマでも工房を解雇されるが、その精緻すぎる写実性と人間心理の描写は、デル・モンテのサロンに評価され、枢機卿はこの画家を後援しようと考える。ところがその頃、彼はローマのブラック社会に染まっていたのである。
1600年に完成した「聖マタイの召命」と「聖マタイの殉教」はまさに新時代の絵画だった。写実性に加え、シュールともいえる光と闇が、神の聖性と人間の闇を劇的に現していたのだ。彼はこの絵画によって新しいバロックの扉を開き、時代の寵児となったが、光と闇は彼自身の中にあった。
下はコンタレッリ礼拝堂の聖マタイ連作
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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