日本宣教32-逆臣のキリシタン小西行長

小西行長の父隆佐は堺の商人だが熱心なキリシタンである。松永久秀が宣教師を京都から追放した際には、フロイスやヴィエラを三箇城まで避難させており、フロイスの信長との会見にも同行し、フロイスから「当地方における最も善良な基督教徒」と評価されている。

行長は次男であり魚屋九郎右衛門の養子になったところを宇喜多直家に才能を見出され家臣となり、秀吉の三木城攻めで使者として赴いたがこれまた才能を評価されて家臣となった。行長がキリシタンとなるのは1584年、高山右近の推薦で26歳の頃である。しかし秀吉の宣教師追放に追随して堺から退去させる。

行長は四国の室津でオルガンティーノに叱責される。宣教師資料によれば彼は泣いて告解したらしい。このことが行長の右近とオルガンティーノ保護を決意させる。さらに行長は天草領でキリシタン領民に接し、秀吉のこの世の権力から脱却し始める。それが朝鮮での行長の「逆臣的」行動につながってゆく。

商人でキリシタンの行長は戦争ではなく交易が当然だった。秀吉の最初の目標も遠くない。ところが秀吉の変心により状況は一変した。行長は豊臣政権の中で逆臣的によき時代の理想を貫こうとした。潔癖な右近と共にこれもまた日本のキリシタンである、キリストは多分彼も愛するだろう。

下左は堺市観光案内のバサラ風小西行長右は宇土市の像

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キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。