ロシア帝国の道5-ボリス・ゴドゥノフ戴冠

ロシアでは1598年1月、フョードル1世が子供なく崩御し、帝位は皇妃イリーナ移った、もちろん黙っていないのは兄の摂政ボリス・ゴドゥノフである。彼はこのために89年にロシア正教のモスクワ総主教座を設置し、自分の息のかかった主教を置いたのである。

しかしボリスはタタールといわれ、帝位を受ける血筋ではない。貴族の中にはロマノフ家はじめ反対意見が多かった。そこでイリーナが俗世を捨て修道院に入ると、共に修道院に引きこもった。すると民衆がそこに押しかけ、帝位に就くよう嘆願した。恐らくは主教の仕掛けと考えられる。

同年2月17日、主教の手によって全国会議が開催された。これは600人ほどの全国の大規模会議だったようだ。ここで総主教は大貴族に有無をいわさず、ボリスの皇帝選出を決定した。翌日市民らと共に、総主教は修道院に向かい、ボリスは帝位を受けたが、また修道院に戻ってしまった。

ボリスは大貴族の反対が強いのを危惧していた。5月、かねてより敵対してきたクリミアでモスクワ襲撃の噂があり、ボリスはこの鎮圧目的に、数万の軍勢で遠征を行い、戦わず屈服させた。ボリスはモスクワに凱旋したが、さらに貴族の懐柔に時間をかけ、9月3日ようやく皇帝を戴冠した。

下はオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」より戴冠

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。