日本宣教24-慶長の役の始まり

偽りの和平を結んだ小西行長は秀吉に処刑されそうになったが、淀君が秀吉の前に立ちはだかり、助命されたといわれる。淀君を掲げる三成らのネットワークはもうできていた。淀に弱い秀吉は仕方なく、小西を再び朝鮮に送りこむことにした。だが明のほうは、交渉に当たった沈惟敬らを処刑した。

朝鮮の役には、キリシタン大名黒田孝高も出陣している。大将宇喜多秀家の軍監だった。ところが宇喜多は飾りだけで、実質三成が仕切っているのを見てヤル気を失い帰国してしまう。しかし戦況悪化で1592年再び朝鮮に渡る。秀吉の命令は、交渉を有利にするように晋州城攻撃だった。

ところが現場では、まず越冬のための城塞工事が優先事項だった。5月21日現場状況を伝えるため帰国するが、秀吉は敵前逃亡とみなし、会見も許されず朝鮮に戻された。この間は三成の讒言との記録もある。晋州城攻撃では息子の黒田軍を援助し、装甲車である亀甲車をつくるなど攻略に貢献した。

しかし秀吉の勘気は冷めず、孝高は息子に遺書まで書いて帰国し、髷を切って「如水」と号して引退すると報告、危機一髪で秀吉に許された。如水は中国風の名前だが、実の意味はヨシュアだったという説がある。ヨシュアはエリコを制圧した英雄、ということでまたまた朝鮮に行くのである。

下は大河ドラマ「軍師官兵衛」より頭を本当に剃った岡田如水

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。