秀吉が日本王ということを説明するため、何と天皇は信長に殺されたことにしたが、何とか明は日本に使者を送ることになった、しかし実はそれは臣下にしてやるという使者である。しかし行長と3奉行は大都督に任じられ、今後の外交トップとなり、今後に期待できた。
1594年4月、行長は帰国し、石田三成らに事情を説明し、そのとりなしで、朝鮮から約半数が撤退することが了承された。そして戦争派の加藤清正を秀吉から遠ざけるため、彼の命令違反を讒言して蟄居させた。この行為が戦後しこりとなり、関ヶ原までつながってゆく。
1596年8月、明の使者が堺に到着することとなり、この謀事は大詰めを迎えた。ところがその直前7月13日未明、京都を大地震が起こったのである。そしていち早く秀吉のもとに兵300を率いてかけつけた加藤清正は、その功によって蟄居取消しとなったと伝えられ、一説によれば行長の策謀をバラした。
9月2日、明の使者を秀吉が謁見、この日は明より冠服を与えられ、無事に終わった。翌3日、字の読めない秀吉に代わり、相国寺承兄が、冊書を読み上げた。行長は、「朝鮮王にする」とかに代えろと指示したらしいが「日本王」とそのまま読んでしまった。その瞬間和平工作は瓦解した。
下は月岡芳年作「自身加藤」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント