フロイスの「自ら神になろうとした」という言葉は、晩年の信長の傲慢さを表す資料として引用された。もう一人安国寺恵瓊の「高転びにあおのけに転ばれ候」という予言も有名である。しかしフロイスの言葉は、宣教師としての立場から出たもので割り引いて考えねばならない。
実際信長は、戦さの際にはお参りをしたり寄進したり、吉兆を信じたりしている。迷信は信じないが、自分に有利なものは信じ、無神論者とはほど遠い。キリスト教の合理的な思考には共感しているしその点で一神教にも理解があったろう。ただ現実の信長は、自分の権力で宗教を統制しようとしただけである。
この点では、信長は絶対王政の君主に近い。信長はスペイン絶対王政の話はきいていたろうが、君主による国内統一はめざしたが、キリスト教国家などまるで考えてはいなかったのは確かである。天下統一が視野に入ってくると、キリスト教統制も考えるのが自然である。
信長もヨーロッパ統一をめざしたカール5世も、その直前で側近の裏切りで破綻を迎えた。カール5世は諸侯独立の神聖ローマをハプルブルク家統一権力にしようとして裏切りにあった。信長も、織田家による統一支配を考えていたようだ。裏切りの元祖ブルータスも、カエザルによる帝政ローマへの反発である。
下は国盗物語の高橋信長、近藤正臣が光秀
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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