1582年6月21日、日本で本能寺の変が勃発した。フロイスは後付けだろうが、信長は「途方もない狂気と盲目に陥り」自ら神になろうとした、と書いている。あれほど布教に助力したのにずいぶんな変わりようである。晩年信長が傲慢に陥った説の大きな根拠となっている。
一方光秀に対しては「裏切りや密会を好み」謀略が得意とケチョンケチョン。まあユダが神の計画の成就に手をかしたからといって感謝されないのと同じである。キリスト教は「神は悪魔を使って計画を成就する、という考え方がある。
日本統括のオルガンティーノは安土を脱出してさっそく光秀の坂本へ行った。ここで光秀方から高山家に味方してほしいと頼まれ、日本語で味方せよと手紙を書き、ポルトガル語でするなと書いた。騙された光秀は宣教師らに通行手形を出し、高山家を安堵すると伝え、人質もとらなかった。
高槻は山崎の隣の最要地。人質にせずとも坂本に誰か宣教師を留めておけば、右近はやっかいな立場になったかもしれない。茨木の中川清秀は、秀吉に信長の死を書いた手紙を送ったが、何と秀吉からは信長が生きているという手紙が送られた。結局この2人が秀吉方についたので、秀吉は畿内をやすやすと京に向かって行進することができたのである。
下は軍師官兵衛の本能寺の変
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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