バロックの聖性3-聖テレサと十字架のヨハネ

十字架の聖ヨハネことファン・デ・イエペスが聖テレサに会ったのは25歳のとき、二人の歳の差は27歳、テレサは堂々とした熟女である。若者ヨハネは、テレサと別れた1年後1568年アビラの近くの村ドゥエロで、男子の厳格な規則を持つ跣足カルメル会を発足させた。

彼らの仲間が順調に増えたところで、恩返しとばかり、テレサは何と、自分が院長をする修道院の霊的指導者にしちゃうのである、70年から2年間2人は(神への)ラブラブの毎日を送ったのである。しかし改革派を良く思わない神父達の姦計により、2人は引き離され、ヨハネはトレド修道院の牢獄に入れられる。

この牢獄で彼の才能は開花され、最初の傑作の詩「霊の讃歌」が書かれる。「どんなことに出会っても、彼はいつも自分の愛する人を思う」この詩が神のことだけとは言い切れないだろう。78年、彼は遂に牢番の協力を得て脱獄に成功する。

ヨハネは、遠くモンテ・カルバリオ修道院に行き、ここで最初の著作「カルメル山登攀」を書く。そして81年、跣足会は認められ、ヨハネはアビラに行き再びテレサに会うことができた。その後2人は別れ、テレサは「彼なしにどんなに寂しいか」と手紙に書き、数カ月後彼女は帰天する。

下は空中浮遊してまみえる聖テレサと十図かの聖ヨハネ

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。