日本宣教12-天正遣欧少年使節出発

1581年、信長は来日していたイエズス会東洋巡察使統括のヴァリニャーノと会見した。このとき黒人従僕を見て珍しがったため、信長に献上された。その後近習となり、本能寺で生き残る「弥助」である。信長はヴァリニャーノを諸大名を集めた馬揃えに誘い、さらに安土城にて会見した。

ちょうど盆の時期であり、信長は巡察使に、城下の明かりを消して、城だけをライトアップして見せた。その前にフロイスに代わったオルガンチーノを招き、地球儀を見ながら談義をしている。信長の頭の中には世界に伝わるという意識があったろう。

そして安土にキリスト教学校セミナリオを建てる許可が下りた。すでに京都に建てる準備をしており、翌年には完成し、評判をとった。ここには厳選して10人の武士の子が入った。信長がキリスト教を奨励しているという噂が立ち、改宗する者が増えた。

ヴァリニャーノは、日本を去るに当たり、日本布教の成果を教皇に見せるために、欧州訪問使節を計画した。そして本場を見た日本人が居ればもっと布教がすすむだろう。九州キリシタン大名の縁戚より4人の少年が選ばれ、82年1月、彼らは「天正遣欧少年使節」として欧州に出発した。

下は大河ドラマより安土城ライトアップ

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。