フェリペ2世は父王カール5世に絵画好きは似て、フランドルやヴェネツィアの絵画を収集した。そして首都マドリードができると数々の聖堂が建ち、そこに絵を描くスペイン画家が育った。しかしこの時代の最高の画家はスペイン人でもフェリペ好みでもない。
ドメニコス・テオトコプーロスは、1577年頃スペインに渡った。面倒な名前をスペイン人は言えず、彼を「エル・グレコ」ギリシャ人、と呼んだ。確かに生まれはクレタ島で、彼も生涯ギリシャ人であることを誇りとしていた。クレタ島はビザンティン様式で、ヴァネツィアに渡りイタリア絵画を学んだ。
スペインに来たグレコは、その年トレド大聖堂からキリストの衣服が脱がされる「聖衣剥奪」を依頼され、79年に完成したが、なんと異端の恐れがある、と報酬は大減額され、訴訟すると審問にかけると脅された。確かにこの絵画には目に見えるキリストの威光は感じられない。
80年にはフェリペ2世より「聖マウリティウスの殉教」が発注された。今回は天使もいるかなり配慮を見せたがやはり教会から受注を拒否され、宮廷画家の道を閉ざされた。しかし少数の知識人から評価され、トレドを中心に多くの傑作を残した。バロックの台頭で忘れられたが、20世紀にピカソらからその前衛性を評価されて復活する。
下左は「無原罪のお宿り」右は「受胎告知」エル・グレコの絵は極端に縦長だが、絵が上方に掲げられたためで下から見上げると壮大な世界がわかる
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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