黄金帝国13-ドン・ファン公悲願ならず死す

1577年5月、ドン・ファン・デ・アウストリアはネーデルランド代表と長い交渉の後、スペイン軍撤退に応じて執政となった。ところが7月、ナミュール要塞を残っていたドイツ傭兵に奇襲させて占拠すると、掌を返してスペイン軍帰還を本国に要請、ちょうどポトシ鉱山でアマルガム法が当たり銀が増産できたフェリペはこれに応じた。

翌78年1月、スペイン軍はジャンブルーで全国議会軍に勝利、するとカルヴァン派以外の都市はスペインに寝返り、カルヴァン派との内戦状態の混乱に陥った。オランイェ公は、和平提案を出したが両者から突っぱねられた。

ドン・ファンは、新教派を後ろから支えるエリザベスをけん制するため、メアリ・スチュアートとの結婚を提案した。異母弟の権力欲を警戒するフェリペは承知するわけがない。しかしドン・ファンは自ら王宮に乗り込み、兄弟がサシで話し合って、王に結婚を承知させたのである。

イギリス王の希望に燃えたドン・ファンは、さらに南部の攻略をすすめたが、8月あと一歩のところで病に倒れた。彼は2カ月高熱に苦しんだ後、10月1日わずか31歳の若さで、この世を旅立った。妾腹の彼は人一倍栄光を欲していただろうが、それは叶わなかった。

下はドン・ファン公のものとされる華麗な剣

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。