足利義昭の敗北から信長の天下はキリシタン武将にとっても岐路となった。高山親子は出世し、八尾城主シメアン池田丹後守教正も信長についた。池田は、三好義継に仕え、若江城代となったが、義昭方についた主君を裏切り、若江城に信長軍を入れ、義継は自殺し、その功で城主となった。
しかし丹波八木城主、内藤ジョアン忠俊は、義昭と共に二条城に入ったので所領を没収された。彼は義昭に従ったがその後キリシタン大名小西行長にスカウトされて重用され、波乱万丈な生涯を送ることになる。
高山家の治める高槻は、キリスト教となり、城内には教会が建てられた。住民を積極的に改宗した。1576年には復活祭が盛大に祝われ、父図書は十字架を持って先頭に立った。キリシタンには貧しい農民でも正式な葬儀が行われ、遺族の生活を扶養した。反面寺社は破壊されたため、寺社は茨木の中川清秀を頼り、高山親子の危機を招くことになる。
同76年、京都上京区に三層の天主堂「昇天の聖母会堂」が建設され、8月15日の聖母被昇天ミサや12月の降誕祭が行われた。高山や池田などが推進し、信徒達が寄進や奉仕をした。住民の反対はあったが、信長の所司代が押し通した。信長政権がなければここまではできなかったろう。
下は木俣清史作「高槻の復活祭」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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