日本宣教10-右近重傷!神に祈る

しかしバテレン宣教師達にも時代の転機が迫っていた。比叡山焼討と同じ頃の1571年8月、頼りにしていた和田惟政が、白井河原の戦いで荒木村重に討ち取られてしまったのだ。惟政はキリスト教に好意的だったが信徒にはなっていなかった。フロイスは狼狽し「狼に取り囲まれた羊のようだ」と手紙に書いている。

バテレン達は惟政の配下で、信徒となっていた高山図書親子を頼った。しかしこの頃から将軍義昭と信長の対立が激しくなり、諸将や家の内部でもどちらに就くかで対立があった。荒木村重は、信長より摂津を任された。

1573年、武田信玄が徳川領に侵入、これを機に義昭は信長に敵対したが、信玄が死亡したことで、武田軍が撤退。それを知らぬ義昭は、槇島城に立て篭もったが、脅威が無くなり上洛した信長に敗れ、追放。足利幕府が滅亡した。

惟政の子、惟長は、家臣の対立や離反で疑心暗鬼になったようだ。同年4月、高山親子を呼び出し暗殺しようとしたが、すでに露呈して還り討ちとなった。しかし右近も瀕死の重傷、命の瀬戸際で彼は神に祈り、自分の身を委ねた。「右近は神のことを思い、驚くべき成長を遂げた」とフロイスは手紙に書いている。荒木は高山親子を高槻城主にした。

下はOSKの高山右近伝。重傷の右近と神との出会いの場はなかなか見物だった

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。