壮麗帝の挑戦12-セリム2世崩御大宰相時代

1574年偉大なるスレイマン大帝の後を継いだ息子セリム2世が崩御した。彼は統治を大宰相ソコルル・メフメット・パシャに丸投げし、飲酒や詩にふけったといわれる。そのため「酒飲み」のあだ名をもらい、死因も酔っぱらって入浴して転んで頭を打ったというものである。

この大宰相はボスニア正教徒の家に生まれたがオスマンに徴発されイスラムに改宗させられたが、忠実にオスマンを支えたという男、こうした元異教徒が官僚になるのがオスマンの特徴といえる。彼はレパント敗北の後の海軍を再建し、官僚組織を整えた。

宗教戦争にあけくれる欧州にとって異教徒が共存して国を支えるオスマンのシステムは知識人にとって脅威や羨望だったようだ。そしてこの大宰相の時代にオスマンはスレイマン時代を越えて最大版図を得るのである。

成熟期を迎えた帝国はイスラムの盟主として文化的にも発展した。建築家のスィナンはビザンティンのアヤ・ソフィアを越えるセリミエモスクを建てた。トルコ語で新しい長編叙事詩が書かれた。しかし西方への進出がストップしたことは、異教徒奴隷の徴発が減少し、大砲戦への戦争の変化はオスマンを変化させてゆくことになる。

下はセミリエモスクと建築家スィナンの像

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。