1571年9月30日、信長は有名な比叡山焼き討ちを決行した。浅井、朝倉同盟の信長包囲網の中心に比叡山が居り、追いこんでも比叡山に逃げ込んでしまうのに業を煮やしたのだ。信長は3万人の兵で山を囲み、寺を焼き尽くした。しかし現在では、それ以前にかなりの寺が消失していたようである。
またそれ以前の67年には松永久秀によって東大寺大仏殿が焼かれている。既存仏教への畏れは廃れていたと考えても良いだろう。だが既存勢力へのアピール効果は相当なもので、公卿は「天魔の仕業」と呼んだ。信長は自分への恐怖が広まるのは好都合と考えていたようだ。
フロイスはこの焼討を神の業ととらえ「信長を鞭として起用して、比叡山を破壊せしめた」と記している。日本布教長として来日したカブラルは、岐阜に挨拶に行ったとき、比叡山焼討を称賛したという。
フロイスは信長を、善き理性と明晰な判断力を有し、異教的占いや迷信的慣習の軽蔑者である、と記している。しかし天台座主覚如は武田信玄に身を寄せた。フロイスによれば、信玄は天台座主を名乗り、信長を非難する手紙を書き、信長が応酬したとされるのがサブカルで有名な「第六天魔王」である。ともあれ、信玄は信長討伐の大義名分を得た。
下は大河ドラマ「黄金の日々」より
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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