信長=義昭の政権はまだ安定していない。1569年には信長の留守を衝いて三好三人衆が義昭を襲い、信長の神速の帰還で撃退された。そして三好と共謀した高槻を攻めて、和田惟正に与えた。惟正はキリスト教布教と城内に会堂を建てることを約束した。ここにキリスト教と高槻との関係が始まった。
しかし朝廷と義昭政権との間をとりもっていた日蓮宗の僧日乗が、宣教師追放を進言、4月20日日乗とロレンソが信長の前で宗論を行った。その場に居たフロイスによれば、日乗が怒り、「死んで霊魂とやらを見せてみよ」とロレンソに切りかかり、信長の家来衆に取り押さえられたとのことである。
日乗はますますキリスト教を迫害しようとして和田惟正をも天皇に讒言した。フロイスは岐阜まで赴き信長の援助を求めたが、信長は歓待し、この世の原理などを問い、さらに西洋知識に感心し、自ら膳を運んだという。そしてフロイスを安堵させ度々訪ねるようにと言った。
翌70年信長は義昭の行動を制限しようとして、二人の関係に亀裂が入る。朝倉氏討伐に行けば、縁戚にした浅井長政が裏切り、危うく敗死を免れる状況。これを機に「信長包囲網」が形成された。これに本願寺の顕如が加わり、畿内の勢力もまた義昭の意向も受けて反信長勢力が姿を露わにした。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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