1568年オスマンのセリム2世とロシアのイワン4世雷帝との間に戦争が始まった。イワンは56年にアストラハン国を征服し、黒海へ進出していた。これによってヴォルガ川流域はロシア領となり、「母なるヴォルガ」と呼ばれるのはここからである。しかしロシアの南下はオスマンを刺激した。
オスマンはアストラハン奪回のため、物資搬入のヴォルガードン運河を計画、これは独立国であったクリミアハン国と合同作戦だった。ロシアはこの作戦を阻止するため、ここにクリミアを巻き込んでの露土戦争が開始した。しかし北でもリヴォアニア戦争があり、ロシアは兵を送れない。
69年9月、オスマンはアルトラハンを包囲したが、やはりサプライルート不足で自慢の大砲が12門しかなく、包囲を完了できず、冬が来てやむなく撤退。オスマンもイオニア海での作戦が激化して、70年講和条約が締結された。しかしこれはこの後続く戦争の始まりにすぎなかった。
イワン雷帝の強権政治と対外拡張は、限界を越え、71年にはリトアニアとクリミアが同盟を組み、モスクワを焼き払われる事態が起こる。さすがの雷帝も、内外の危機に戦争の終息へと方向を変えざるをえなくなった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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