1568年9月26日、織田信長は、足利義昭を奉じて上洛した。その頃キリスト教宣教師はまだ京都を追放され、堺に居た。堺近郊では上洛戦が行われたが、双方に信者が居り、その安全を願って祈り、自らを鞭打った。戦場では敵同士の信者が一堂に70人ほど会してミサに与ったこともある。
キリスト教の追放取消のため尽力したのは和田惟政である。彼は義昭の脱出を仕掛け、信長から摂津以下3国を与えられた。そしてその配下になったのが教徒の高山飛騨守である。惟政は高山からミサに誘われ、信者にはならなかったが熱心な協力者となった。
翌69年2月、高山の家来と信者に囲まれ、司祭らは立派な駕籠で上洛した。そして京都地区の責任者となっていたのがルイス・フロイスである。上洛して3日後、フロイスは信長に礼を述べに行き、二人の会見が実現した。しかし信長は何も語らず、贈答品も4つのうちの1つしか取らなかった。
次の会見は程なく二条城の建設現場で実現した。初回の様子見で好感を持ったらしい信長は二時間にわたっていろいろ質問した。そして欲はなくただ信仰のために遠い異国に渡ってきた宣教師にさらに好感を強めた。そして仏教僧を見て「傲慢な欺瞞者」と言い、布教許可を与えたのだ。
下は大河ドラマ「黄金の日々」より
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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