壮麗帝の挑戦11-スレイマン戦場に死す

マルタ島奪取に失敗したスレイマン大帝は、欧州に対して威信を示すべく、70歳を越えた老体に鞭打ってハンガリーをめざした。しかしブタ南方のセゲド要塞の攻略中1566年9月7日、戦場で崩御した。大宰相ソココル・メフメット・パシャは、信玄よろしく大帝の死を隠して撤退した。

大帝はライバルのカール5世と同じく、世界帝国主義者であった。事実彼の時代、ムガール帝国がインドを制覇し、イスラムは内陸では世界帝国と称しても過言ではなかったのだ。しかし両雄の死と共に、欧州は分裂し、イスラムは欧州と分離するようになっていく。

大宰相は、ベオグラードで息子セリム2世に大帝の崩御を伝え、そのままイスタンブールに引き上げた。しかしイェニチェリ達は軍事俸給を要求して示威行動を起こし、大宰相が反乱分子を処刑してようやく収まった。もはや侵攻どころではなかった。

新スルタンは宰相に権限を渡し、大宰相中心の統治システムがつくられてゆく。しかし同時に神聖ローマ新帝マクシミリアン2世と講和協議を行い、地上での国境を画定させた。しかし海上ではそうはいかない。カトリック絶対主義を奉じるフェリペ2世との戦いが待っていた。

下は最後の戦場に臨むスレイマン最後の演説

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。