黄金帝国4-オランダ独立戦争の開始

オスマンに勝利したフェリペ2世は、ネーデルランドに対しても強気に転じた。1565年10月、フェリペはセゴビア離宮から、異母姉のネーデルランド総督マハレータに、異端取り締まり実施の手紙を書いた。この手紙に貴族達は200~300人連盟で請願書を渡した。この時議会議長が彼らを「物乞い(へーゼン)」と言ったため、彼らは自分達を「ヘーゼン党」と称する。

翌66年、総督は請願に応えて寛容を約束したが、今度はカルヴァンの過激派が動き出し、8月偶像崇拝を非難する説教集会を行って、聖像破壊の実力行使を行った。オランイェ公ウィレムは中間派で、融和に努めた。

ところが総督はこれを機にスペインの支援を得て、教会破壊の武力鎮圧、その後も治安を強化したため、危険を感じたウィレムはネーデルランドを離れ、故郷のドイツに逃れた。本国のフェリペは、懲罰軍を送ることを決め、アルバ公以下1万人が67年8月にブリュッセル入りした。

アルバ公は新総督となり、兵力を6万7千人にまで増大し、1100人余りを処刑した。中間派貴族も財産を没収され、ウィレムも欠席裁判、さらに長男が逮捕されてスペインに連れ去られた。ここに至りウィレムはついに武力闘争を決意した。オランダ独立戦争の開始である。

下はオペラ「ドン・カルロ」よりフェリペ2世とネーデルランド代表の交渉

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。