日本宣教6-和田惟正、足利義昭を立てる

1565年5月19日、足利第13代将軍義輝が、松永久秀と三好三人衆に打ち取られた。これによって天下は次の時代に動くことになる。義輝は、60年にキリスト教布教を許可、65年に天皇よりのキリスト教追放要請も無視した。松永は、クーデター後、京都にキリスト教禁止令を出した。

松永と三好三人衆は、14代将軍として義栄を擁立した。ところが松永と三好が権力抗争を始め、上洛ができない。一方義輝の弟後の義昭は、仏門に入り覚慶となっていたが、松永によって興福寺に幽閉された。しかし義輝の側近だった細川藤孝や和田惟正らによって7月28日に脱出した。

義昭は惟正の居城和田城に逗留する。そして和田惟正はキリシタン高山図書との親交で理解があり、後にフロイスを信長に紹介した人物である。翌66年元俗して正式に義昭を名乗り、将軍レースに参加する。最初頼ったのは朝倉や上杉である。しかしどちらも上洛するには問題があった。

この義昭擁立に積極的に応えようとしたのが織田信長である。彼は66年義昭から尾張の国主と承認を受け、斎藤道三の後継として美濃を攻略しようとしていた。翌67年、美濃を奪取した信長は天下取りの有力者として認識され、彼も「天下布武」の印章を使い、上洛を意識し始める。

下は義昭を救い出す惟正

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。