黒王妃の戦争6-新仏王大御幸外交を展開

1564年、即位したシャルル9世は勅令で1月1日を年の初めとした。実はそれまで年初めは復活祭である。日本では仏教伝来以前から正月はお祝いしていたが、これはやはり日本の神との関係である。ともあれ、この変更は、新旧教がややこしくなる中で、政治と宗教を分けるというカトリーヌの意志が反映している。

そして、王はそれから2年半をかけて即位の国内大御幸パレードを行う。これも新旧対立する中で、主君は王ということをはっきりするためだった。同時に先々で大アトラクションとパーティを催し、荒んだ民衆の心を明るくした。同時に国王の財力を見せつけ、手向かっても無駄と悟らせる意味もあった。

さらに行く先々で外交も展開し、北のトロワでは英国にカレーを金銭返還させ、東に行っては神聖ローマの新皇帝に縁談をもちかけた。地方貴族にも直に会い、翌65年1月、御幸中に聞いた意見に応える形で「ムーラン大勅令」を発布して、王権を固めた。

そのクライマックスが、王母カトリーヌの娘でスペイン王妃のエリザベートを迎えてのスペインとのバイヨンヌ会談だった。ところが付いて来たのが貴族筆頭アルバ公である。彼は新教を弾圧せよ、と言ってきたのだ。それはできないフランスは、ネーデルランドを制圧するスペイン軍の進行を認めた。

下はバイヨンヌの水上イベントタピストリー

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。