近世の混沌1-魔女狩り中世風習の禁止

1563年十数年もかけて断続的に行われたトリエント公会議が終了した。この後300年公会議は行われなかったのだから、近代に至るカトリックの方向を決めた重要な会議であった。もっとも、「公会議主義」というのはルネサンス時代にヴァチカン批判と共に大きくなったが、キリスト教分裂という結果と共に、自由な改革論議が終わったといえるかもしれない。

1564年、皇帝フェルナンド2世が崩御し、その地位は長男のマクシミリアン2世が継いだ。そころが領地はチェコ、ハンガリーのみで、オーストリアは他の2人の息子に分割された。もう神聖ローマは名目上で、中身はバラバラ。

落ち着いた帝国の中で、双方とも内部固めに入った。キリスト教的規律が強化され、中世からのいいかげんさ、寛容さが否定された。トリエント公会議ではカーニバルのどんちゃん騒ぎがキリスト教的でない、と否定される。占いや大道芸なども抑圧された、ああもったいない。

そしてその中で起こったのが「魔女狩り」である。自然宗教的名残の一掃を謀ったのだ。なぜ女なのか、それは女性の男性への従属の強化の一環といわれる。相続が禁止され、職業からも締め出され、家長への従属が強化された。売春、不倫、同性愛も魔女とみなされ、何と一世紀以上続いた、これは近世的現象であり、敢えていえば近代の準備である。。

下は魔女審査

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。