壮麗帝の挑戦9-ヒュッレム女人天下

さてさて、ヨーロッパが乱れ今度こそチャンスのオスマンだが、こちらも結構乱れていた。その原因は奴隷から皇后にまで昇りつめたヒュッレムだといわれる。彼女は絶世の美女という評価はないが、人の心を掴むのが巧みで、明るくさせるので陽気を意味するこの名前をいただいた。

彼女はスレイマンとの間に4人の皇子がいたが、大帝の後継者は前皇后の生んだムスタファだった。彼女は自分の子供を帝位につけるため、大宰相イブラヒム=パシャを失脚させ、娘婿のリュステム=パシャを後任にした。そしてムスタファを、反乱を計画していると讒言して、1553年に処刑させた。

大帝59歳、英明なスルタンもついに色ボケ。それからというもの頭が良く能弁なヒュッレムが政治を動かし、後の「女人天下」という時代を開いた、とされる。そして自分の長男セリムよりも次男バヤズィトを帝位につけようとして混乱を招き、58年に逝去した。

60を過ぎた大帝に往年の覇気はなく、ロクサーナ以後の政権は、長男と次男の後継争いでますます混乱してしまう。翌59年に次男バヤズィトは反乱。敗れた後イランのサファビー朝に逃れたが、オスマンは彼を許さず、処刑させた。残ったセリムは凡庸でオスマンにかつての勢いはなかったのである。

下はTVドラマ「オスマン帝国外伝」よりムスタファ王子の処刑(多分)

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。