フランス王太子妃となっていたメアリ・スチュアートは当時の古典的な美人だったとは皆の評価である。宮廷では、フランスに生まれたルネッサンスの詩人の称賛の的だった。しかし母メアリ1世の死によって大きな政治的立場が加えられた。スコットランド女王にしてフランスの言うイングランド女王と。
これを主張したのは、義父のアンリ2世だが、このことによって彼女は我知らず生涯に渡る重荷をしょいこんだことになった。1559年、スペインとの講和が実現し、フランスはやもめになったフェリペ2世に縁談をもちかけ、長女エリザベートが西王と結婚した。
仏王宮廷では婚姻が相次ぎ、記念イベントが催された。6月30日、王アンリ2世が自ら馬上試合を所望し、最後に勇者モンゴメリーを指名した。王が倒れる不吉な夢を見ていた王妃カトリーヌは「およしになって」と懇願したが、王はきかない。そしてその試合で裂けた槍が王の目と喉に刺さって、崩御してしまったのだ。
国王の死を当てたとしてこの後有名になったのが大予言者ノストラダムスである。1555年に出版された予言書に、国王の死が見事に載っていたというのである。何はともあれメアリは突然王妃になった。
下は仏王アンリ2世の死。文字はノストラダムスの予言
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント