1558年9月21日、ヨーロッパを統治した最後の皇帝カール5世が隠遁先のユステ修道院で崩御した、58歳である。彼は実に最期のときまで自分で脈をとり「ときはきたり」と言って死の準備をし、最後の言葉は「イエス様」だった。まるで十字架上の主キリストのようである。
隠遁したとはいえ、元皇帝は若い息子を支えねばならなかった。とりわけフランスとの戦費調達はほぼ自分の責任だった。そんなとき、セビーリャで南米からの貢納横領が発覚した。寄港した港でこっそり抜き取られていたのである。スペインは南米統治を見直すこととなった。
また57年には隣国ポルトガルのジョアン3世が崩御した。息子は皆亡くなっており、スペイン王フェリペの息子ドン・カルロスを据えるという動きがあったが、わずか3歳の王の孫瀬バスティアンを王位につけることでとりあえず収拾したのである。
そしてカールは、自分の墓をどこか静寂な地に葬るよう息子に願った。息子が決めたのはマドリードの近くである。このエル・エスコリアル修道院の建設を機に、この街が首都となってゆく。カールは王家の守護となったわけだ。そして彼の隠遁の世話をした少年ヘロニモこそ、レーゲンスブルクでつくった彼の子供だったが、カールは最後まで知らなかった。
下はヴェルディのオペラ「ドン・カルロ」フェリペ2世時代のスペインとオランダの対立がテーマで何と最後に崩御したカール5世が救ってくれるという
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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