1548年、ザビエルに新たな展望が開けた、日本人ヤジローとの出会いである。ヤジローは薩摩の島津家の家臣の息子で、人を殺して脱出してきたらしい。そして悔い改めれば罪が赦されるというキリスト教に希望をもった。ザビエルは知的好奇心のあふれた日本人に希望を見出したのだ。
もうこの頃ポルトガル商人は日本に出入りしている。中国人の王直らが、双嶼を中心に密貿易を行ったが、政府の取締りを受け、五島、平戸に拠点を移し、ポルトガル商人もそれに乗っていた。ポルトガルは世界有数の銀産国で価格が低かった銀を取引、船は「銀の船」と呼ばれた。
ザビエルの日本渡航計画は、日本と関係を深めたかったポルトガルとしても大助かりで、マラッカ長官は渡航費用や日本の王への贈答品から教会建造費用まで用立ててくれた。しかしポルトガル船が調達できず、中国のジャンクに乗って日本に向かうことにした。ヤジローは商人と間違われないため、そのほうがよいと言った。
日本への航海は、季節風が終わって苦難を要し、船長は引きあげかけていたが、ザビエルの意志をくじくことはできなかった。1949年8月15日、ザビエル一行は、鹿児島に入港。聖母被昇天の祝日であったため、彼は日本を聖母に捧げた。
下は鹿児島のザビエル公園に立つ中央ザビエル、左ヤジロー、右ザビエルがヨーロッパに送った日本人鹿児島のベルナルド
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント