最後の皇帝28-息子フェリペ後継難航

1548年5月、仏王アンリ2世はイタリアに侵攻。フランスのイタリア侵入はこれで4代目だが、何と教皇パウルス3世の許しがあった。国境を隣接するピエモンテとトリノを8月に占領した。新王は慎重で、オスマンとドイツの新教との同盟を再構築しようとする。その相手がモーリッツだった。

カール5世は、帝国を皇帝中心の中央集権制に再編し、オスマンと対峙することを考えていたが、それはますますドイツ諸侯の離反を招いた。カール5世48歳、ドイツを武力で制し、権力の絶頂のはずの皇帝は息子フィリップに向かって「疲労困憊してしまった」と弱気な手紙を書くのである。無理をしすぎて持病の痛風も悪化していた。

この帝国集権を息子に委ねることを考えたカールは、息子を呼び寄せ、ネーデルランド総督につけた。そして甥マクシミリアンを王代理としてスペインに行かせ、娘マリアと結婚させた。次の皇帝を息子に無理なら、次の次と、弟のフェルナンド大公に頼むのである。

しかし、息子フィリップは、スペインで生まれ育ったフェリペであった。どうもネーデルランド地方の自由な気風とは合わない。ドイツでも諸侯を集めて紹介したが、これまたなじまない。仕方なく一旦息子をスペインに帰国させた。

下はイタリアに侵攻するアンリ2世軍

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。