英国離婚王11-英仏両王同年崩御す

1547年1月ヘンリー8世崩御、3月仏王フランソワ1世崩御。ルネサンスの主役の王が相次いで没した。ヘンリー8世は待望の嫡子を得て満足だっただろう。その嫡子は9歳でエドワード6世として即位した。その母といえば処刑された三番目の妻で、母方の伯父であるエドワード・シーモアが護国卿となって権力を握った。

卿は父王の政策を引き継ぎ、エドワード王とスコットランド王女メアリを結婚させて国を乗っ取るべく、スコットランドへ侵攻。しかし王女メアリ・スチュアートはからくもフランスに逃れ、フランス宮廷で育つ数奇な運命の始まりだった。

フランスを継いだのは息子アンリ2世。実は彼は次男であり、36年王太子の事故死によって昇格した。アンリ2世は子供の頃から父がパヴィアの戦いで負けたために人質としてスペインをたらい回しにされた。そんな少年期のために「気難し屋王」となった。

28歳で、もう妻が居た。クレメンス7世がフランスとの縁故を求めたメディチ家の女性カトリーヌ・ド・メディシス、彼女がこの後フランスの運命を握る。しかし王にはもう愛人がいたらしい。そして新王アンリは、前半生の復讐とばかり、またカール5世に戦争を仕掛ける。

下はヘンリー8世の死

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。