最後の皇帝22-皇帝、仏王引き分け

1543年秋、ついにフランス・オスマン連合艦隊が当時帝国領だったニースに上陸を開始。すぐにミラノから帝国軍が救援を送ると、挟まれるのを怖れた連合軍は撤退した。しかし後に残されたフランスの百合、トルコの三日月の旗を見て、帝国軍は唖然とした。

仏、帝国両軍は一進一退の状況で、翌44年2月、皇帝カールはシュバイアーに帝国議会を招集し、戦費追加を求めた。もちろんプロテスタント諸侯から条件がつく。そこで皇帝は、「公会議で宗教問題が決着するまで」という条件付で、新旧教の同権を一時的に承認した。

44年初夏、戦費調達が成った皇帝は5万の軍を揃えフランスに侵攻、国境とパリとの中間にあるサン・ディジエ要塞を包囲した。ここを守るサンセール公は包囲に5週間耐え抜き、秋まで持ちこたえた。そして9月18日国境の町クレピィで和平会議がもたれた。

「クレピィの和」では、またしてもフランスのイタリア放棄、仏王の教会統一が誓約された。三男オルレアン公とカールの娘、または姪の婚約が決まり、結婚成立時にミラノまたはネーデルランドを与える、との口約束もなされた。しかしカールはこの頃から「高慢な敵には力で」と考えるようになる。

下はサン・ディジエの記念碑

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。