仏王三男オルレアン公の東進に、ルクセンブルクはたちまち陥落した。ところが聞こえてくるのは兄王太子のスペイン攻めの称賛ばかり。つまらん、と思ったオルレアン公は踵を返してスペイン攻めに向かったのだ。兄弟が攻めるは、ピレネーの東側の要塞ペルピニャンである。
しかしこの守備を担ったのが、後のスペインの屋台骨となり、フェリペ2世の最高顧問となるアルバ公爵である。ちなみにこのアルバ公は今日でも続いており、領地内でスペインをまわれるというほどの広大な資産を持っている。この戦での奮戦がその後の公の高名の初め。フランス軍はついに撤退。
皇帝カールは持病の痛風で動けなかったが、英王ヘンリー8世との同盟工作を行っていた。そして英王とくると、結婚したキャサリンが不倫を働いたと反ハワード派に讒言され、1542年2月13日またもや王妃を処刑した。ちなみに彼女が捕えられたハンプトンコートの廊下は彼女の幽霊が出る名所となっている。
1543年2月、皇帝はまたしても英王と同盟締結に成功した。英王は仏王がスコットランドと同盟したのが気に食わなかったらしい。5月調子の戻った皇帝はブルゴーニュに入り、東部戦線を奪回し、いよいよ仏王と対峙する。そして7月12日、英王はキャサリン・バーと6度目の結婚をした。
下はハンプトンコートの幽霊映像?
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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