大航海時代25-ザビエル、アジアに旅立つ

1540年、ポルトガル王ジョアン3世は、生まれたばかりのイエズス会に対し、アジア宣教師を要請した。ポルトガルのアジア進出は、まさに点と線状態で、ゴア、カリカット、マラッカを抑えてはいるものの、内陸には大きなイスラムのムガール帝国が拡大していた。

ポルトガルは、キリスト教を布教することで、海外植民地を強化しようとしたのである。その要請に応えてリスボンに赴いたのが、誰あろうフランシスコ・ザビエルである。ザビエルは、国王自ら謁見し、41年4月4日、アジアに向け出航した。荷物は数冊の書と、毛布1枚、あとは頑として拒絶した。

ザビエルの希望を乗せた航海は、ギニア海域で40日もの無風状態に苦しめられ、伝染病が流行して、船は病院船のような状態となった。9月ようやく喜望峰をまわりモザンビークに到着して越冬。しかしここでも病人が多数出て、ザビエルは治療と葬儀に忙殺された。

1542年2月末、ザビエルと新アジア総督ソーザ達は、小型船クーラン号に乗り換え、インドを目指した。そしてアフリカとアラビアの間のアデン湾のソコトラ島に着くと、聖トーマスが建てたという十字架に感動し、ここに残ると言いだした。しかし総督が説得し、5月5日ついにインドのゴアに到着した。

下はゴアのザビエル

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。