1541年4月皇帝カール5世は、レーゲンスブルクの帝国会議に臨んだ。彼は「今度こそ」と新教と旧教を和解させるチャンスだと思ったのだ。というのも、新教諸侯に肩入れしたフランスが引きさがり、オスマンの脅威が現実のものとなったからであった。キリスト教は一致して対抗せねばならない。
全体会議ではダメだと思った皇帝は、まず双方の体表メランヒトンとエックの代表だけで話をさせた。これがまあ約1カ月にわたって延々と行われ、教義的な面でもかなり合意の傾向が見られ、お目付けの枢機卿の「和解の兆しが見えた」と教皇に手紙を送った。
展望が開けたと思ったカールは、和解を正式に双方に提案したが、7月5日と12日に双方から返ってきた返答は拒否だった。カールは深く失望した。そして皇帝には、スレイマンがバルカンでの戦争を準備中だとの情報が寄せられた。もはやこれまでと、彼は思った。
会議中、カールはヘッセン方伯と連絡を取り、新教をこれ以上拡大せぬとの約束を得た。そして双方に、平和の状態を維持すること、双方の側での信教の迫害はせぬことを申し渡して閉会して、インスブルックに向かった。もはや和解は不可能と思いながら。
下は新旧教代表交渉会場に描かれた絵。左旧教エック右新教メランヒトン
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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