最後の皇帝20-ネーデルランド反乱

ついてないときはついてない。オスマンとの敗北の翌1539年4月、皇帝カールは、最愛の妃イザベラを亡くした。7人目の子が早産で、その子と共に亡くなったのである。ナイーブで優しい皇帝は、数日間修道院にこもって妃の死を悼んだ。あっさり乗り換えるヘンリー8世とは気が合うはずがない。

しかし皇帝を俗世に還したのはまたしても悲運、ネーデルランドの都ガンの反乱だった。実際、皇帝の重なる戦役の負担は領民にかかっていた。元ネーデルランドの王であったが、今はスペイン王になったカールに帰っておらず縁が切れていたのである。

しかし今回はフランスが皇帝の味方になった。仏王は反乱軍の味方をせず、カールは最短距離のパリを通って、ガンへ直行できたのである。途中のパリでは大歓迎で、さらに皇帝がひさびさに帰還するや、ネーデルランドの民衆はあっさり掌を返し、首謀者を処刑すれば、反乱は収まってしまった。

危機一髪だったが今回はフランソワ1世に助けてもらった。故郷に帰還したカールは、共の者少しだけで、ネーデルランドの都市から都市を見回った。ゲーテの戯曲「エグモント」でも、ブリュッセルの市民の声として「道で出会っても気さくに会釈されて、あれこそ本当の君主だった」と言わせている。

下左はパリのカール5世とフランソワ1世右はガンのカール5世像

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。