チュニジアで敗北したスレイマンだが、対処は早かった。1536年には200隻の船を建造し、翌年地中海の西へ遠征を開始した。実はここにフランス大使が乗るはずだったのだ。ところが、フランスが皇帝カールと手打ちしたので、艦隊は行く先を変更し、エーゲ海へ向かった。
エーゲ海では、ヴェネツィアに属する島を襲撃、このためヴェネツィアは、教皇パウルス3世に対オスマン十字軍を要請した。カールはこれに応え、スペイン、神聖ローマ、ヴェネツィア連合海軍を結成、司令官はチュニス攻めに成功したアンドレア・ドーリアを据えた。
38年9月、連合艦隊は、コルフ島をヴェネツィア支配下に奪還し、オスマンの根拠地アルタ湾に向かった。連合艦隊は湾の入口のプレヴェザに到着したが、湾は入り口が狭く、奥が深いので、深入りは危険とみて撤退を始めた。
しかしユダヤ人海賊シナン・レイースは、湾の陰から撤退する連合艦隊に追跡を開始、レフカダ島沖で追いついた。連合艦隊は、反転して反撃に出ようとしたが、襲撃に追いつかず、何隻かの船がやられた。司令官ドーリアは、反撃を諦め、追撃をかわすことにした。結局プレヴェザの海戦は、被害はさほど大きくなかったが、キリスト教側に失望をもたらした。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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