1536年7月12日、人文主義の王者デシリウス・エラスムスが69歳で亡くなった。彼はキリスト教を正しい形にするという目的で著作を出したが、時代は新教旧教の対立となり、その渦中でどちらからも攻撃されれことになった。スイスのバーゼルを逃れフライブルクに行ったが終焉の地はバーゼルに戻った。
彼は、ヨーロッパの宗教対立を深く憂い、決裂したルターに対しても34年に「常軌を逸するルターを駁す」を著し、どんどん離れていくルターを止めようとした。ルターといえば、カトリックが無くなるのが最終戦争だと思っていたらしい。
エラスムスは、祖国というなら世界こそ人間の祖国、というコスモポリタン、そして平和主義者。「戦争は体験しない者にこそ快い」と書く徹底した平和主義者だった。国の名が違うだけで、他国民の絶滅に向かうのが正しいのだろうか、と書き。さらに、正しい戦争があるとしても、そんな戦争が一つでもあるか疑わしい、とも書いている。
残念ながらエラスムスの意に反し、時代は宗教戦争とナショナリズムの時代となっていく。彼の思想はフランスのユマニズムが受け継ぎ、新たな普遍主義をつくってゆくことになる。しかしそれは新旧に分かれたキリスト教と独立したものとなった。彼の死後約500年経ったが、彼の言葉は未だに重く響く。
下左はロッテルダム大学のエラスムス像右平和の訴え
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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