最後の皇帝19-陽の出る所から入る所まで

チュニスの制圧に成功したカール5世は、シチリア、ナポリを経てローマに凱旋した。このときにつくられた凱旋門に「太陽の出るところから太陽の入るところまで」という言葉が掲げられ、これが「太陽の沈まない帝国」の称号をつくったようだ。

ヨーロッパの栄光を一身に浴びた皇帝だったが、仏王フランソワ1世は、負けじと動き出す。1535年10月、ミラノ領主スフォルツァが子供なしに没すると、またしても自分こそ継承者と名乗りをあげ、4万の軍でイタリアに出兵、ピエモンテからトリノを制圧し、ミラノを包囲した。

皇帝カールは、イタリアから追い払うだけでは同じことの繰り返しと、仏領土のプロヴァンスに侵攻、北からもネーデルランド軍を侵攻させた。プロヴァンスからアルルへ攻めのぼろうとする皇帝軍に、守将モンモランシーは徹底した焦土作戦で行く手を阻み、皇帝軍を撤退に追い込んだ。

結局双方とも決め手に欠け、ネーデルランド総督マリアは、姉の仏王妃エレオノーレに連絡をとって休戦した。その後皇帝と仏王は仲直りをしようとしなかったが、教皇が仲立ちで1538年ニースで会った。会談は難渋し、皇帝は帰途についたが、船が仏王の近くに漂着したときに、仏王が訪問したことからサシの会談が実現し、二人は一時期和解したのである。

下はカール5世の凱旋門

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。